出逢ってしまったから

 強いて理由をあげるなら………出逢ってしまった…とでも言っておこうか。




 苗字だけ書いた紙表札のついた、普通の二階建てアパートの一室。昼間だというのにオレンジのカーテンが閉められていて、女の妖しい息づかいが聞こえてくる。
  「あん…あっ…そこ…っ」
 piriri……piriri……
  「ちっ…」
 舌打ちして、仁王は枕元にある携帯を取る。二つ折りの携帯を左手で開く間も、腰は動かしたまま。
  「若頭か…。おい、声出すなよ」
 女に言い置いて通話ボタンを押した。
  「…仁王」
  ―――「真田だ。幸村組長が刺された。すぐ来い。病院は…」
 仁王は携帯を投げ、女から体を離し、脱ぎ散らかしていた服をかき集めた。
  「ちょっとぉ。途中で何よぉ」
 不満タラタラの女の声を背中に聞き、最低限のものだけ身につけ、あとは抱えて玄関に急いだ。
  「悪いな!落ち着いたら、またかわいがってやるから!」
 言いながらドアを開ける。
 カンカンと音をたてて階段を駆け下り、幸村組長の無事を祈った。



 手術中のランプがついた重たそうなドアの前では、真田が沈痛な面持ちでイスに座っていた。仁王に気づいた真田は立ち上がり、立ちすくむ仁王の肩をぽんと叩いて
  「…大丈夫だ。組長は、きっと大丈夫だ」
 まるで自分に言い聞かせるように何度も繰り返した。
  「若頭…一体誰がこんなこと……っ」
 搾り出した低い声で、真田に問う。だけど、真田は細いため息を吐きながら首を横に振った。
  「もしかして…桜吹雪の伯父貴……」
  「おい!…滅多なことを口にするもんじゃない。…確かに最近 桜吹雪組の悪い噂はよく聞くが…まだ決まったわけではない。今、柳らが調べている最中だ。お前は余計なことをするんじゃないぞ。わかったな」
 厳しく言って、真田はまたイスに座った。
 仁王もその横に腰を下ろしたが落ち着かず、立ったり座ったりを繰り返した。そのうちに他の兄弟たちも次々に駆けつけた。
 柳と柳生が少し遅れて着いたとき、ちょうど手術中のランプが消えた。
 執刀医が出てきて容態を説明する。幸い急所を外れており、命には別状ないことを聞くと一同安堵の声が漏れた。
  「…となると、ますますどこの組が狙ってきたのか分かりにくくなりますねえ」
 柳生が柳に話しかける。
  「なんだ、わからなかったのか?」
 真田が驚いた声をあげた。柳の情報はいつも豊富で知らないことはないというくらいなのに、今まで調べていても分からないとは考えにくかったからだ。
  「ああ。鉄砲玉の素性は割れたんだが…。どうも今回限りの雇われのようだな」
 言いながら柳が、柳生にも視線を走らせる。
  「組長暗殺に失敗しようがしまいが、おそらくもう…」
 柳生が言葉を濁すが、その先を真田が続けた。
  「…もう始末されてる、か……」
  「組長に万一のことがあれば、何か動きがあるだろうからどこの組の仕業か分かったんだが…まあ、組長が無事でよかった」
 柳がそういうと、みんな同意するように頷いた。仁王を除いて……。
  「…おい、それでいいのかよ?…仇討ちしないのかよ?それでも男売って商売してんのかよ!」
  「仁王君。今はまだ成り行きを見守りましょう」
 柳生がいきり立つ仁王をなだめる。が、仁王は肩に置かれた柳生の腕を振りほどき
  「そんな軟弱なこと言ってるからなめられるんじゃ!もういい。俺がひとりで調べる」
 くうるりとみんなに背を向けた。
  「仁王!」
 真田の声がしたが、振り返らず走った。



 仁王にあてがあるわけではないが、とりあえず桜吹雪組の下っ端を捜して歩いた。
 桜吹雪組と立海組は、組長同士が兄弟の盃を酌み交わした兄弟組だ。その桜吹雪が、最近資金難とかで幸村にクスリをやろうと持ちかけて来ていたことがあった。
 しかし、関東王美会の方針はクスリには絶対手を出すなというものだったので、断られた挙句幸村にかなり説教をされたらしい。その上、立海組のなわばりにクスリが流れ込まないよう厳重にしたものだから、あちらにしては随分やりにくかったと思われる。桜吹雪が幸村の存在を疎ましく思うのは想像に易い。
 最近やたらとチンピラがうろついているのも、そういった関係からかもしれない。
 そうこうしていると、肩で風を切って歩いているガラの悪い二人組を見つけた。
  「…よう」
 仁王が前に出ると、二人はぎょっとして後ずさった。
  「なんじゃ、別にびびることないやろ。元気そうやのう。…桜吹雪のオジキも元気か?」
  「なっ何の用だ!」
  「別に用はない。お前らが見えたから挨拶しに来ただけじゃ」
 二人は終始びくびくして、適当に挨拶を済ませると逃げるように去って行った。
  「……ビンゴ…か」
 鼻で笑い、腰に挿した小刀を服の上から確認するように握った。
  「おのれ桜吹雪…」
 行く先を睨みつけた。



 桜吹雪組事務所近くで、様子を伺っているとポン…と肩を叩かれた。仁王が驚いて振り返ると、なんと探していた桜吹雪がいるではないか。
  「…これはこれは、幸村のとこの。こんな所で何をしているのかな?」
 嫌みったらしい金の鎖をじゃらじゃらさせて、コートは質がいいのは分かるが恐ろしく下品で趣味が悪い。しかも鼻が曲がるんじゃないかと思うほど、香水をプンプン匂わせている。思わず嫌な顔をしてしまった。
  「なんだ、随分礼儀が悪いじゃないか。伯父に会っても挨拶もできないとは…ん?一体、幸村はどういうしつけをしてるんだろうな」
 フハハ…と見下すように笑った桜吹雪にムカついて、思わず小刀を左手で探った、その時。
  「ああ〜!こんな所にいた〜」
 柳生の声が、桜吹雪の後ろから聞こえた。
 柳生は綺麗に手入れされたピカピカの黒のアメ車から降りて
  「桜吹雪の伯父貴じゃないですか。ご無沙汰しています。これはまた素敵なコートですね」
  「おお、さすが柳生は目が高いな。これはイタリアの…」
  「さ、仁王君参りましょう。では伯父貴、失礼します」
 桜吹雪を見事にかわし、仁王の攻撃心をも削いだ。
 助手席に乗せられて、運転する柳生の顔を見た。
  「……まったく…たった一人でカチコミですか?死にたいんですか?」
 呆れて柳生のほうから話し始めた。
  「まだ、伯父貴の仕業と決まったわけではありません。もう少し考えて行動していただかないと…」
  「そんなのあいつに決まってるじゃろ!見たか、あいつの…」
  「ええ、見ましたよ。資金難とか言っているわりに、羽振り良さそうでしたね」
  「クスリ、売ってるのは間違いなさそうじゃのう、柳生?」
 ほとんど桜吹雪の仕業と分かっているのに、確固たる証拠がない今の状況ではただじっと待つしかない。結局何もできない苛立たしさに、仁王は自分の膝をこぶしで叩いた。
 一方、かわされた挙句置き去りにされた桜吹雪は、にやりと嫌らしい笑みを口元に浮かべた。
  「仁王か………」



  「…では交代で組長をお守りすること」
 事務所に戻ると、真田が当面の組長代行に決まっていて、組員に指示を与えていた。
 仁王の当番は明日だったので、昼の続きをしようと女の部屋に向かった。高架のところでチンピラに絡まれてる男を見たが、立海組の縄張りではなかったので、気になったが仕方なく知らん顔をして通り過ぎた。
  (…気の毒に…。無事に逃げられることを祈っといてやるぜよ)
 チンピラはたぶん、桜吹雪のところの若い衆だろう。見たこともない顔だったが、最近多いああいう輩は、全部そうだと言っても過言ではなかった。
 カンカンとリズミカルな音をたてて階段を上がった。ノックをするがいるはずの女からは応答が無かった。
  「あれ?もう出勤したかな?」
 ポケットから時間を見るために携帯を出そうとした。
 視線を下ろした時に、ドアの向こうに置いてある大きいビニール袋が目に留まる。透けて見える中身は何だか見覚えのある自分の持ち物だった。
  「…おいおい。たかが最中で出かけたからってコレはひどくない?」
 がっくりと肩を落とし、ドアをさっきよりも強くノックする。
  「お〜い、いるんだろ?開けてよ」
 すると、チェーンをかけたまま細くドアが開いた。
  「…もう別れて。さっきチンピラがアンタのことを探しに来たのよ。ヤバイのはごめんだわ。あんな奴らに店にまで来られたら、私働けないじゃない」
  「……そっか、ごめんな〜迷惑かけたな。怪我はなかったか?……じゃ、元気でな」
 仁王はあっさりと引き下がった。そんなに惚れた女ではなかったことも理由のひとつだが、仁王は自分のせいで誰かが傷つけられるのを嫌った。
  「…さて、どこに行くかな〜」
 仕方がないので事務所に行こうと、さっき来た道を逆に歩いていった。すると高架のところでは、まだ先ほどのチンピラが男に絡んでいた。
 …もしかすると、女の部屋に行ったのはあいつらかも。
 そんな直接的な考えと、弱いものいじめが嫌いなのとがイライラした気持ちを煽った。
 よく見ると絡まれている男の唇に少し血が滲んでいた。そうなるともう放っては置けなくなって、仁王はチンピラにつかみかかった。
  「痛えっ!何しやがる!」
  「シロウトさんに手ぇ出すとは、ヤクザの風上にも置けんやっちゃのう…」
  「……このやろうっ」
 2対1でも仁王のほうが有利だとわかると、そのうちの一人がナイフを出した。
  「…あぶないっ」
 絡まれていた男がナイフを持つ男に飛びかかり、背負って投げるとあっという間にのしてしまった。
 男はぱたぱたと服の埃を掃い、眼鏡の奥の綺麗な瞳を細めて少しだけ笑ったような気がした。
  「…まだ逃げてなかったのか…ていうか、強いんやのう…」

 それが手塚と仁王のありふれた出逢いだった。

(05.2.17)









  「なんであんなに強いのに、すぐやっつけなかった?無駄に傷つけられて…大丈夫か?綺麗な顔が台無しやのう」
 男の顎を持って、血が出ているところを顔を近づけて見た。
  「…大丈夫だ、唇を噛んでしまっただけだから。…あいつらの言ってることはよくわからなかったから、落ち着いて話をしようと言ったのだが余計に興奮し始めて…」
 絡まれていた男は、口元を濡らしたハンカチで拭いながら微笑んだ。
 仁王たちは近くの公園のベンチに座っていた。男はリムレスの眼鏡の中央を押し上げて、心配そうに聞いてくる。
  「それよりお前こそ…大丈夫か?」
 仁王の少しの荷物が入ったビニールが、破れかけて中身がこぼれそうになっていた。
  「…もしかして行く所ないのか?」
 男が、哀れむように言ってきたので
  「そ、そんなわけないだろう!あちこちの女が、来て来てって言うから、どこに行こうか迷ってるんだよ!」
  「ふ〜ん……行く所が無いならウチに来いと言おうとしたのだが、じゃあダメだな」
  「えっ!?…ん〜と、今日はまだどの女にも決めてないから、お前のところに行ってやってもいいぜよ」
 仁王が言うと、男は顔だけむこうを向かせて笑いを堪え、じゃあ行こうかとベンチを立った。
 夕食の買い物客も、もう疎らになった商店街を抜けたところに男のマンションはあった。
  「そういやお前、名前は?」
 仁王は男の名前を聞いていなかったことを思い出した。
  「手塚だ。お前は?」
  「俺は仁王…だ」
  「仁王、お互い埃まみれだ。先にシャワー浴びて来い。その間、簡単だが食事を作っておく」
 仁王と交代で手塚がシャワーを浴びに行き出てくると、二人は缶ビールで乾杯した。
  「…うまいな、これ」
  「何のことは無い、ただ焼いただけだ」
 仁王はビールを一口飲むと、手塚の顔を見てふっと笑った。
  「…なんか不思議だな。初めて会った気がしねえ」
  「そう……だな。俺も、そう思う。部屋にまで連れてきてしまったくらいだ。いつもの俺なら考えられない」
  「お前、真面目そうだもんな。見たところ、エリートサラリーマンって感じだけど?」
 仁王が手塚の顔を覗くと、手塚は少し複雑な顔で笑った。
  「…まあいいか。別にお前が誰でも関係ないや。な、ビールもう一本いいか?」



 仁王がうなされている声で手塚は目が覚めた。
 あれからいつの間にか眠っていたみたいで、電気は点けたまま、皿もテーブルに置いたままだった。
 見ると仁王の額がうっすらと汗ばんでいたので、タオルでそっと拭いた。
 だるい体を起こして、皿を台所に運び電気を消す。ベッドから毛布を引っ張ってきて仁王にかけてやった。そうすると自分がかけるものが無くなったので、手塚は仁王の横に寝転んで、一緒に毛布をかけた。
 手塚が再び寝息をたてる頃、今度は仁王が目を覚ました。一瞬自分がどこにいるのかよくわからなくて、途惑ってキョロキョロしてしまう。隣に人がいてどきりとしたが、夕方以降のことを少しずつ思い出してきて一人納得する。そうすると隣にいるのは手塚だと思い、ふと笑みがこぼれる。
  「こいつガキみてえだな。年いくつだっけ…?そういや聞いてねえや」
 ほの暗い部屋の中で眼鏡を外した手塚の寝顔は、思わずごくりと喉を鳴らしてしまうほど綺麗だった。
 形のいい唇は薄く開いて、誘っているように見える。思わず妙な気持ちになって、頭をブンブン振った。
  「わーっバカバカ…っ」
  「…どうした?」
 また仁王がうなされているのかと思って、手塚は体を起こした。
  「おい…大丈夫か?どこか痛いのか?」
 頭を抱えている仁王を心配そうに覗き込んだ。仁王が顔を上げると手塚の髪の毛が頬をくすぐった。
 すぐ目の前に手塚の顔があって、いとも簡単に理性は吹き飛ぶ。相手が男だとかいうことは全く頭になくて、ただその唇に口づけをしたかった。
 手塚の後頭部を持ち自分の方に引き寄せて、荒々しく唇を重ねた。
 最初は抗っていた手塚だったが、キスが深くなるに従ってだんだんと仁王を押し戻す腕が軽くなる。仁王は体の奥から湧き出す抑えきれない淫らな感覚に、体がゾクゾクと震えた。
 そしてどこかで冷静な自分が急に顔を出して、思わず手塚の肩を持って体を離した。
  「……っ……すまん!どうかしてた…っ」
 それ以上言い訳する言葉が見つからなくて、そそくさと服の乱れを整えながら
  「おっ俺行くわ。いろいろ世話んなったな…っ」
 手塚の顔もまともに見れなくて。すると手塚は仁王の腕をつかんだ。
  「こんな時間に、行くってどこへ?どうせ行くあてないんだろう?…ここに居ればいい」
 カーテンの隙間から差し込む街灯か何かの明かりで、手塚の顔がほの白く浮かび上がる。シャツのボタンがふたつほど外れていて、たわんでいる隙間からは適当に筋肉の乗った胸元が、甘い香りを振りまいて誘う。
 女の胸のように柔らかそうなふくらみがあるわけでもなくて、かといってあばらが浮き出すほど貧弱でもない。ただ、手を這わせると吸い付いてきそうなキメの細かい肌がそこにあることだけは、こんな薄闇の中でもよくわかった。
 上目遣いに見ている手塚の艶かしさにまた喉が鳴った。
 細い顎先から喉元を通り、その先へと視線を這わす。
  「っ……くそ…っ」
 もうどうにでもなれという思いが仁王の心を支配した時、再び手塚の唇を自分のそれで塞いでいた。二度目の口づけはとても甘くて、仁王が手塚の背中に腕を回すと手塚も同じように腕を回した。
  「ん……」
 唇の角度を変える時に思わずもれた手塚の声はとても扇情的で、もっと違う声が聞きたいと思った。
  「ごめん」
 耳元で仁王は謝った。口づけに対してか、これからすることに対してか。
 男を抱くのはもちろん初めてだったけど、途惑いながらもとりあえず女を抱くようにしてみた。シャツを肌蹴て小さな突起を口に含んだり舌で舐めたりすると、思ったとおり手塚はセクシーな声をだした。
 そうなるともっともっと切ない声を出させてみたくなる。喘がせて快がらせて、その色っぽい声で自分の名前を呼ばせてみたい。エスカレートしていく自分を止める術はもはやなくて…。
 ぎこちない快楽の儀式の後で、呆然と手塚の寝顔を見つめた。
 汗で額に張り付いた髪を人差し指で梳いてやる。それでも手塚はぐっすりと眠っていて起きない。
  「…やっちまったぜよ…」
 胡坐をかいて髪をぐしゃぐしゃとかきむしった。
  「しかも………………………すげーよかったし……」
 わっと仁王は両手で顔を覆った。



 翌朝仁王は小さい声で「じゃあな」と言って、手塚を起こさず部屋を出た。玄関のドアが静かに閉まったのを背中で確認すると、手塚は目をあけた。
  「っ…」
 体をゆっくりと起こすと、腰に残る鈍い痛みがあった。両手で自分の体を抱きしめるようにすると、手塚は深く長いため息を吐いた。
 見張りの交代のため、仁王は幸村の入院する病院に向かっていた。
 仁王が到着する少し前に幸村の意識は戻っていて、なんと上半身を起こしていた。
  「組長!」
 ベッドに駆け寄ると、幸村はヤクザ者とは思えないいつもの柔らかい笑顔で
  「心配かけたね」
 としっかりした口調で言った。
  「……組長、早速で悪いが、刺した奴の事は覚えているか?」
 担当医が部屋を出て行くと、真田が聞く。
  「……みんなを集めてくれないか」
 幸村が穏やかで、それでいて厳しい声で真田に指示をする。真田は頷くと、留守を頼むという意味で仁王に目で合図して病室を出て行った。
 幸村が目を覚ましたことを聞きつけて、次々にみんな集まってきた。幹部が揃うと表に見張りをつけるように指示してから、幸村は話し始めた。
  「いいかい、今から言うことはこの組の存続にも関わってくる。一度しか言わないからよく聞いてくれ」
 幸村の表情が豹変した。
 この獣のような獰猛な目つきこそが本来の幸村なのである。
  「……………今夜、桜吹雪組を潰す」
 痛いくらいに空気が張りつめる。誰もが息を呑んだ瞬間だった。
 それから幸村は、段取りを話し始めた。



  ―――「クスリを売りさばいてるのは柳の調べで間違いない。それはもう榊会長には報告済みだ。あとは現場を押さえるだけ」
 今夜取引が行われるという倉庫へ、仁王たちは来ていた。仁王と共にこの場所を護るのは柳生だった。車のライトを消して、桜吹雪が来るのをひたすら待つ。
  「…来た」
 用心のためか、いつもと違う車で乗り付けてきたが間違いなく桜吹雪だった。
  「じゃあ行くぜよ」
  「ではまた後で」
 柳生も黒い皮の手袋をはめながら静かに頷き、ドアからそっと出た。
 違う場所で待機する仲間達と合図を送りあって、静かに倉庫の周りを囲んだ。
 仁王は、事務所を出るときに真田に渡された拳銃の冷たい感触をもう一度確かめる。右手から左手に持ち替えて構えた。


  ―――「チャカ!?」
  ―――「念の為持っておけ。ただし、いいか。絶対に帰って来い」


 真田の声が脳裏を過ぎる。
  「…言われなくとも」
 出口を全て取り囲んだ時、漆黒のベンツが仁王の前に停まった。ドアが開き、立海組の属する関東王美会の会長が颯爽と姿を現す。
 高そうなスーツにそれに似合った長身で、およそヤクザというよりはピアノなんかをどこかのバーで弾いているのがお似合いの感じだ。
 会長は誰も護衛をつけずに、たった一人で来ていた。恐らく、最後まで子を信じたい親心からだろうと仁王は思った。
  「…そこまでだ…!」
 倉庫の中に榊会長の低いどすの聞いた声が響く。
 途端に「わっ」と倉庫内が騒がしくなった。
往生際の悪い桜吹雪や、その舎弟たちがクスリの売人たちと逃げようとしたためだ。
  パン!
 銃声がして、榊会長のそばにあった荷物に当たった。
 親殺し…渡世の大罪…。
 仁王の体温が一気に上昇した。
  「…っ!」
 心臓が痛いくらいに脈を打つ。額や背中に汗が伝う。息がうまく吸えなくて、はぁはぁと肩を上下させた。会長にもしものことがあれば、もはや立海組の存続がどうとか言っている場合ではない。
 その時、榊会長に銃口を向けているヤツがいるのが見えた。
  「会長!」
 仁王は咄嗟に会長に体当たりして、自分の銃をそいつに向けて引き金を引いた。



  「手塚を柳生と間違えてたぁ!?」
 仁王の素っ頓狂な声が病室に響く。
  「ええ。『仁王はどこだ?』って叫んでましたから」
 笑いをこらえきれずに柳生が答える。
  「あの高架下にいたチンピラ、間違えてたんですよ、私と。…手塚…っていうんですか?彼は。実はあの日、仁王君をずっと監視していましてね」
 そういえば、桜吹雪の事務所近くにいたときもタイミングよく現れたっけ……。
 言われてみるとチンピラに「仁王か?」って確認されてたような気もする。
  「でもまさかあの手塚って人と、仁王君がお近づきになるとは思ってもいませんでしたが…。」
 柳生はたぶん特に深い意味はなく言ったのだと思うが、仁王にはそうは聞こえなかった……。
  「手塚って…どこかで聞いたことあるような、ないような…。強い方ですね。何者ですか、彼は?」
  「何者かは知らねえ……」
  「まあ、とにかく」
 幸村が割って入った。深い傷を負っているとは思えない笑顔で幸村は「みんな無事でよかった」と言った。
  「特に仁王。会長を体をはって護ってくれたそうだね。ありがとう。誇りに思う」
 そういって幸村は真田に合図すると、真田は仁王に「小遣いだ」といって、札束をくれた。
  「え…っ。こ、こんなに…?」
  「会長からも出ると思うよ、ふふっ…。今度、俺が退院したら一緒にご挨拶に行こう」
  「はっ…はい」



 仁王はなんとなくブラブラと手塚のマンションの近くの商店街を歩く。
 こんなにたくさん人がいて会えるわけないけど……。手塚と初めて会った気がしなかったのは、柳生に似ているからだったのだろうか。でも自分は柳生に似ているとは思わなかったし、手塚も初めて会った気がしないと言っていた。だいたい柳生には、どう転んでもおかしな気分になったりはしない。
 そして結局手塚のマンション前に到着してしまった。
  「何がしたいんじゃ、俺…」
 苦く笑い頭をかいて立ち去ろうとした。
 手塚に会ってどうしようというのか分からないが、また会いたくなったのは隠しようもない事実だった。しかし、よく考えると自分勝手なことだと思う。
 あんなことやこんなことを、会ったばかりの男に―――それも不慣れな仕草で―――致されて、また会いたいと思うだろうか。
  「まあ…また会いたいとは……思わんな、普通」
 ぶつぶつと独り言を言いながら振り向くと
  「………まるでドラマやのう……」
 手塚が立っていた。
 手塚はひどく驚いた顔をしていたが、すぐに照れくさそうな笑顔を見せる。
  「おかえり…でいいのか…?」
 仁王はその笑顔に心を奪われた。いや、もうとっくに心は奪われていたのだ。





 出逢ってしまったときから。



(05.2.25)


おわり


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