かたくなな あんだんて

 最近は何もかも前倒しで、洋服のバーゲンどころか大学の説明会を小学生にするらしい。
 もちろんクリスマスも例外ではない。
 11月に入ったと思ったらどんどん街は電飾でキラキラし始め、気がつけば街路樹までもが小さな電球で飾ってある。
 俺は、クリスマスはあまり好きではない。
 職場の女子社員は、毎年12月24日になると残業を嫌がるし、ひどい者は、25日に休みを取ったりする者もいる。だいたいこの年末の忙しいときに、早く帰りたいとか休みたいとか、常識がなさ過ぎる。24日に予定が無いと生きていけないのか、と言いたい。

 ブツブツ言いながら事務所に一人残り、週明けに必要な書類をコピーしていると、年配の警備員さんが通った。
  「あれ、手塚くん、残業?早く帰りたいのにって眉間が言ってるよ」
  「ええ、本当に」
 俺は別に予定などない。
 そう言いたかったが、世間一般の常識ではイブには約束があるものだと昔誰かが言ってたような気がするので、その常識とやらに則って苦笑いしてみた。
 コピーを全て終え、資料として配布するために5枚綴りにしてホッチキスで留める、という作業を黙々とした。必要部数を揃えて時計を見ると、8時を過ぎたところだった。道理でさっきから腹の虫が鳴くと思った。
 窓から外を見ようと目を遣ったら、ガラス窓は結露で幾筋ものしずくが流れていた。
  「随分冷えてきたみたいだな…」
 コートを羽織り、わきに鞄を挟んで手袋をはめながらエレベーターのボタンを押す。エレベーターの中でマフラーは装着完了した。
  「寒…っ」
 会社の外に出ると、鼻が凍りそうな冷たい風が吹いていた。昨日の夜に降った雪の溶け残りが、日の当たらないビルの端に塊となっていた。
 空気は澄んでいて、空を見上げると丸い綺麗な月が出ていた。
 どうやらこの辺りは寒いだけで、ホワイトクリスマスにはとてもなりそうにない。
  「…温かい食べ物がいいな」
 駅に向かって足早に歩いた。




 電車は比較的空いていた。が、家で待つ子供にプレゼントを買って帰るらしいお父さんの姿をたくさん見かけた。子供が喜ぶ顔を想像しているのか、心持ち笑顔である気がした。こちらまで温かい気持ちになった。

 これでも俺は子供の頃はクリスマスは大好きだったし、サンタクロースの存在を信じていた。毎年24日の夜には、一目その姿を見ようと夜遅くまでツリーのそばでがんばるのだ。
 夜が更けると俺は窓からサンタクロースが入ってくるのを見つける。赤い服を着てたっぷりと白いひげを蓄え、まさによく見るあの格好をしていた。大喜びで駆け寄り、彼の持っている大きな袋から出てきたプレゼントをもらいリボンを解く。箱の中には願い通りのプレゼントが入っていて、急いで母親に見せようと思って走り出す。
 …と、俺はベッドで目覚める。
 そう、全て夢なのだ。俺は待ちきれずに眠っていて、ベッドに運ばれているのだ。しかも枕元にはちゃんとプレゼントが置いてあるという、屈辱の25日を迎えていて。
 そして俺は、来年のクリスマスこそは眠らないでサンタクロースを捕まえてやるぞと決意を新たにするのだ。もちろん捕まえたら、毎年欠かさず届けてくださるプレゼントのお礼と待ちきれず眠ってしまう失礼を謝るつもりだった。
 …そういえば、いつの頃からサンタクロースはいないと思うようになったんだったっけ?




 駅に到着すると、迷わず右に進んだ。
 高架下の赤い提灯が下がっている屋台には、一人、客が座っているのが見えた。暖簾を掻き分け、その客の隣に座りながらくもったメガネを外した。
  「毎度。何にしましょ」
 いつものオヤジのいつものセリフ。
  「熱燗と…、おでんは適当に見繕ってください」
 そして俺もいつものセリフ。
 おしぼりをもらい、ふーっと一息ついた。オヤジは俺に適当におでんを出したあと、新聞を広げタバコを吸いはじめた。
  「…遅いのう。残業押し付けられたんか、手塚」
  「…この時間にここにいるということは お前もだろう、仁王」
 隣に座っている男とぷっとどちらともなく吹き出した後、お互いのコップをカチリと小さくあわせた。
  「クリスマスイブだってのに、屋台でおでんとはのう」
  「赤い提灯は、りっぱなクリスマスカラーだ」
 屋台の後ろには、やはり溶け残った昨夜の雪が、泥と混じって黒い塊になっていた。都会の片隅で、かたくななまでにゆっくり溶けている。
 置いてあるラジオからは、クリスマスソングが流れていた。聖夜らしく、元気な選曲ではなくしっとりとした曲ばかりだ。電車が通るたびに枕木の奏でるリズムで全く聞こえなくなるが、何も問題はない。
 そして今日だけの特別番組が始まった。ラジオの電波を使って、視聴者がプロポーズするらしい。
  「これは聴いてる方が恥ずかしいな」
 俺が思わず感想を述べると、仁王は笑った。
  「言うてやるな。本人たちは大真面目じゃ。一世一代の賭けじゃ」
  「そうか、今日は一世一代の賭けをする日なのか」
  「そういう人もいるぜよ」
 仁王はふふんと笑いながら、胸ポケットから出したタバコに火をつけた。
 またカタンカタンと電車がホームに入ってきた。一定のリズムが心地いい。
 いつも仁王は煙が俺のほうに来ないように顔だけ反対を向き、細長く吐き出す。ガサツに見えて意外と気のつく男なのだ。
 銀色の少し形がいびつになった灰皿に、仁王が短くなったタバコを押し付けるのを俺はぼんやり見ていた。
  「…帰るか」
 仁王が言う。
  「ああ」
 俺は答える。
 流行とは無関係の、夜。



(05.12.24)

おわり


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