耳について離れない歌のように

 中学時代からテニスを通じて仲のいい連中と、もう何度目かの 年越しをしようとしている。大学を卒業してからそれぞれ仕事が 忙しくて、最近では誰かが来れないということも珍しくなかった 。しかし今年は何年かぶりに奇跡的に全員が揃うということで、 仲間達はかなりテンションが上がっている。
 俺はこの学生時代からの親友達の事を、折に触れて思 い出す。そしてそれとは別に、よく知らないのに時々思い出す人 が一人いる。どうしても忘れられないというか、そう、昔流行った歌のワンフレーズみたいに耳について離れない、そういう感じだ。




 大学生だった俺は、就職活動も終わり新しいバイトを始めた。 昼間はカフェで、夕方以降はバーになるオープンしたばかりの店 だ。卒業までの短期間しか働けないので、そういう店のほうが都 合がよかった。
 その店の従業員の出入り口の近くに、必ずと言っていいほどい つも立っている男がいた。誰かを待っている風にも見えたし、ど こかの店の人がそこで休憩しているようにも見えた。
 彼は、年齢は俺と同じくらい、髪は銀色で少し長く、顔立ちは 整っていて怜悧な印象を与えるが、見た目に反して愛想が良く、 道行く知り合いらしい人にはいつも笑顔で挨拶していた。
 俺は彼の前を通らないと店に入れないので、いつもとりあえず 会釈して通っていた。彼も必ず会釈を返してくれた。そうやって 少し経った頃には、彼と俺は「今日は寒い」とか「明日は雨が降 るらしい」とか、すれ違いざまにたわいのない話をするまでになってい た。
 ある日、店長に頼まれてレモンを買いに出かけた時のこと。近 くのスーパーからの帰りに彼を見かけた。甲高い笑い声がして思 わずそちらを見ると、彼が少し年上風の女性を腕にぶら下げるよ うに連れていた。上手く説明できないが、恋人同士というには何 となく違和感があったものの、誰と付き合おうが俺には関係のな いことだし、声をかけるほど親しくもなかったのでそのまますれ 違ってしまった。
 そしてまた何日か後のこと、同じく店長のお使いで出かけたら 、また彼を見かけた。
 今度はスラリとした男性と歩いていた。それだけならなんとも 思わないが、驚いたことに、彼がその連れの男性とさり気なく指 先を繋いでいたのが見えたのだ。俺は、見てはいけないものを見 たような気がして視線を逸らした。それと同時に、彼が俺に気づ かないように顔を背けてしまった。先日の女性と歩いている時は そこまでしなかったのだけど、今回はつい咄嗟にそういう行動に 出てしまった。

 それからなんとなく店長に彼のことを聞いてみた。すると店長 は何の躊躇もなく「彼は男娼だ」と言った。
 店長が言う事をまとめてみると、彼は“仁王”と呼ばれていて 、元々は良家の息子で、継母との関係が上手くいかなかったこと が原因で十七、八の頃家を飛び出してこの街に居ついた、という のが専らの噂だそうだ。この街にたどり着いた仁王は、並外れた顔立ちのせいで当たり前のようにスカウトされると、ホストの職に就きあっという間に店の トップになってしまった。それを良く思わない連中が仁王を追い 出し、今ではいわゆる“個人経営”するようになったとか。
  「個人経営…?ですか」
 俺は意味が分からずそう呟き、その答えが「男娼」だったわけ だ。
 彼の職業を知った後でも、俺は今までと変わらず彼と接した。 それどころか、今まで一言のやりとりだったのが だんだんとし っかりとした会話になっていた。早い時間は彼は暇なのか、いつも俺を捕ま えて立ち話させた。
  「お前、名前なんていうんじゃ?聞いてなかったのう?」
  「手塚です」
  「手塚くん、か。なぁ、こないだ道で会うた時、顔そらした じゃろ?なんで?」
  「……」
  「…ま、普通そらすか。悪い、イジワルな質問して」
  「…いえ。…でも、寂しくないですか?」

 俺はなんでこんなことを言ったのだろうと、今でも自分がわか らない。

  「お前は寂しくないから、そんなことも分からんのじゃ」
 俺の失礼な問いかけに、仁王はそう言って笑った。
  「例えばクリスマスとか、年越しの瞬間とか、一人でも寂し くないと言えるだけの確固たるものが無い人は、お前が思ってい る以上に多い。彼らはひとときの夢を求めて、俺のところに集ま ってくる。寂しさで誰かの寂しさを埋めることは出来ないって… そのくらいはもう分かってるんじゃけど、な」

 ずっと後になってから偶々知った。仁王は“男娼”だとあの日 店長は言ったが、その言葉が指し示すようなことは一切してい なくて、ただ仁王に声をかけてきた人と男女問わず一緒に食事し たり、腕を組んで街を歩いたりしていただけだったそうだ。仁王 は単に『“個人経営”のホスト』だった。

 あの会話の後しばらくして、いつの間にか仁王はあの場所に居なくなった。初めは忙 しいのかと気にもしていなかったが、これだけ時間が経つとどこ かに行ったとしか思えない。しかし仁王の所在を聞く知り合いも 居なかったので、俺にはどうすることも出来なかった。
 その年のクリスマスもお正月も、俺は例の仲間達と楽しく過ご した。そして卒業旅行や就職先の研修などがあり、そのまま忙殺 され、結局仁王に会えないままバイトを辞めてしまった。




  「じゃ多数決で、0時になった瞬間は全員でジャンプしよう !」
 いい歳をして、こういうことになると何故かみんなはしゃいで しまう。そんな周りの昂揚した声を聴きながら俺はまた、ふと 仁王のことを思い出していた。
 彼は今、どこでどうしているのだろうか。
 俺はたしかに寂しい思いをしたことが少ない。家族や仲間達がいつも支えてくれた。今の俺なら、仁王のあの日の言葉を理解し、彼の寂しさを埋めてやれる気がする。


 俺はたぶん、仁王が好きだった。





(07.1.1)

おわり


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