お前に惚れた時から俺は道化師。

 で、今二人は修正の為、事務所にて残業中。

  「さっきの、もう一度貸して」
  「ん」
 手塚はキーボードの横に置いたままにしていたファイルを仁王に手渡した。
  「終わりそう?」
  「そー…うだな、ま、今日中には?」
 手塚はため息混じりに苦笑いする。
  「悪かったな、お前を巻き込んでしまって」
 本来なら手塚がチェックするべき資料を、部下が忘れてシステムにあげてしまったものにたまたまミスがあったのだ。往々にしてミスは不思議とこういう場合に起こる。
  「いいっちゃ、そもそも俺が気づいたんだし、最後まで付き合うナリ」
  「お前が気づいてくれて本当に助かった。入力してから発覚したら、大変なことになっていた」

 手塚は、偶然仁王が気づいたと思っているが、それは間違いなのだ。
 仁王は手塚の部署から回ってくる書類は、まず真っ先に手塚の決済印を見る。それは、本日ちゃんと出勤しているかのチェックにもなるからだ。
 出社する時に見かけた日でも、それは癖になっていて、必ずチェックする。
 今日はやけに早い時間にファイルが届いたので、余計に気になって誰よりも先に見たのだ。
 手塚の決済印がないことに気づいた仁王は、こっそり手塚にそのことを伝えた。手塚の直属の上司はミスにとてもうるさく、これが知れたら手塚だけでなく部の全員に対してもっと細かい注文をつけることは目に見えている。
 年末のただでさえ忙しい時期に面倒くさいマニュアルを強いられたら、とてもじゃないが正月に休めないと思い、手塚はミスをした部下にだけこの事を伝え厳重注意し、自分で処理を済ますことに決めたのだ。
 それを知った仁王は、手伝うと買って出た。どうせ最後の処理は、仁王の部署でやらなくてはならない。
  「何も今日ミスってくれることないのになぁ…プリッ」
 仁王がボソリと呟いた。夢中で資料を作り直している手塚には、聞こえなかったようだった。

 いよいよ23時を回った頃、手塚が両腕を天井に伸ばした。続いて仁王も同じポーズをし、こちらは大あくびもついていた。
  「終わった〜。これで何事もなかった!ということで」
 仁王はいたずらっ子のように白い歯を見せてニカッと笑った。
  「ありがとう。…あっ、ちょっと待っててくれ」
 手塚はやっと安心した表情を見せ、それからハッとして腕時計を見た。
 何かを思い出したように慌てて席を立ち、小走りに部屋を出て行った。はじかれたように立ち上がったものだから、イスがくるりと回っている。
  「…えーもしかしてまだ何かあんのぉ?」
 仁王は一人残された部屋で、少々うんざりとした声で独り言を言った。
 しばらくするとドアがカチカチと音をたてるが、一向に開かない。いや、開けないみたいだった。
 手塚の両手がふさがっていることを察知した仁王は、ファイルを顔も見えないくらい大量に抱えている手塚を想像しつつ、恐々ドアを開けてやった。
  「大丈夫か?」
 手塚を気遣って掛けた仁王の言葉は、そのままどこかに消えた。
  「ありがとう。そして、おめでとう」
 明らかにホールケーキが入っていると思われる箱と、自販機で買ってきたらしい缶コーヒーを持って手塚が顔を出したからだった。
  「今日誕生日だったんだろう?まさかこんなことになるとは思わなかったから、ここでケーキを食べてしまおうと思って。こんな場所ですまない」
 手塚は申し訳なさそうに眉を顰めた。
  「…い、いい、いやいや。覚えててくれたんだ、というか、ケーキはいつどうやって?」
 仁王は、嬉しさより驚きの方が勝ってしまって、まだドアマンのようにドアノブを持ったままでいた。手塚に手招きされて、漸く我に返りデスクまで戻る。
  「ケーキは、ほら、竜崎さんって後輩いただろ?彼女に買いに行ってもらった」
  「あー、すばらしい人選!」
  「だろう?でも、ちょっとケーキに問題が…」
 手塚はケーキの箱を開きながら、また眉を顰める。
 箱から出てきたケーキを見て、仁王は何が問題なのかさっぱりわからなかった。ケーキはオーソドックスな生クリームにイチゴが乗っているもので、生クリームやイチゴが嫌いな人には大問題なのかも知れないが、当たり障りない選択だと思う。
  「何が悪いの?竜崎さんらしい、常識的な選択だと思うけど」
 仁王の言葉をうけて、手塚はケーキの正面を仁王に向け無言である場所を指差した。
  「あっ、なんだコレ!」
 それを見るなり、仁王は大笑いした。
  「彼女は真面目でいい子なんだ。それを知ってて頼んだんだが…」
 ケーキの真ん中に乗っているメッセージプレートには『お母さん お誕生日おめでとう』の文字が書いてあった。
 誕生日用のケーキを頼まれたとても気の利く彼女は、ケーキの大きさやメッセージをどうするのか細かくメモを取って行った。そこまで情報を伝えないといけないと思っていなかった手塚は、思わず母親の誕生日だと言ってしまったのだ。
  「これはウケるな。状況が目に浮かぶ」
 笑いが止まらない仁王は、申し訳なさそうにしている手塚に気づき、イチゴを一つ摘んだ。
  「そんな顔せんでもよろし。怒ってないっちゃよ、むしろ嬉しい。でもお前の気が済まないなら、一つだけオレのワガママきいて」
 仁王はイチゴを手塚の口に銜えさせると、それを半分齧った。
  「うっ!」
 滞りない動作に驚いて手塚は身を引いた。が、そんなこと承知の上の仁王にすぐ腰を引きつけられる。
 半分の大きさになったイチゴを、手塚が口の中に収めて文句を言おうとすると、その開きかけた唇を仁王は塞いだ。舌で上手に残りのイチゴを奪い取ると、赤い果汁が二人の唇の端に一筋。仁王は手の甲でそれを拭いながら、同じように果汁を拭っている手塚の悔しそうな表情を見た。
  「何だよ?誰もおらんし、これくらいしても…」
 いいじゃない、と言ったのに手塚の怒号にかき消される。
  「バカ野郎っ!」
  「…へぇ。今日はお前に驚かされっぱなしやのう。他人を悪く言うことのないお前がオレに『バカ』なんて…ねぇ、…イイケド別に」
 仁王はもう一度手塚の腰を引いて、耳元に唇を寄せた。

(08.12.4)



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