新葉

 建物の陰になったコンクリートはひんやりしていて、そこに直接座ると、銀杏が舞い散る季節だが、試合を終えたばかりの火照った体には心地いい。スポーツタオルで顔を拭いていると、小石を踏む音がして、仁王はタオルを首にかけた。
  「どうした?」
  「いや、お前が居るのが見えたから」
 もうすぐ未来が決まる大事な試合があるというのに、こんなところをブラブラしている余裕があるのか、と仁王は思った。
  「手塚の相手、誰?」
 水の入ったペットボトルの蓋をひねる。
  「海堂…2年だ」
 手塚は持っていたラケットを壁にもたれかけるように立てて置き、自分も背中を付けて腕を組んだ。
  「ああ、だからこんなとこウロついてる余裕あんだ」
 たとえ相手が3年だろうが高校生だろうが、おそらく手塚が焦るような相手はいないと思いながら、仁王は水を口に含む。
 何も答えない手塚をチラと見ると、含んだ水を噴き出しそうになった。なぜなら手塚が鋭い眼光を放ち睨んでいたからだ。
  「何?怖いから!お前が睨むと怖いから!」
 冗談めかして仁王は言うが、内心本当に少し焦っていた。何か手塚の気に障るようなことを言ったか?と思い巡らした。
  「別に2年だから、というわけじゃなく、お前と互角な選手ってそうそうおらんじゃろ?…あ、あの1年は別みたいじゃけどな」
 海堂という2年をバカにしたように受け取ったのかもと思い、言い直しながらふと越前という1年のことを思い出した。が、手塚の機嫌は直った様子がない。
  「ところで、お前のとこのツートップが試合中だが、観なくていいのか?」
 手塚は話をすり替える。意図的にかそうでないのかは、仁王には量りかねた。
  「そんな心配より、俺の心配をしんしゃい。脱落したんじゃから、今ものすご〜く傷心なんじゃけど。お前それで慰めに来てくれたんじゃろ?ん?」
 仁王は座ったまま手を伸ばし手塚の足を触ろうとしたが、あっさりかわされた。
  「ま、それもある。が、少しお前と話したくなった」
  「話ぃ?…『仲間と殺し合いした先輩』ってことか」
  「言葉が悪いな」
 手塚は眉を顰めたが、言及したのが言葉のことだけだということは、仁王の指摘はあながち間違ってはいないのだろう。
  「それなら別に話すことないぜよ。柳生と俺の力は互角だと思うとるし、今日だってただ俺が負けただけのことじゃ。1時間後とか、明日だったら分からん。俺が勝つかもしれないし、また負けるかもしれん。参考にするなら、ウチの部長の試合観ることを勧めるね。やっぱり幸村はすごいぜよ」
 仁王は少し饒舌になった。正直、今日負けたのは痛かったと思っていた。
  「柳生との試合で何か得るものはあったか?」
  「得るもの?…まぁ、あったかもな」
  「ほう…」
 手塚は少し表情を緩めた。そのときコートの方から少しどよめきがあったので、二人は同時に目をやった。
  「お前こそ、観なくていいのか?」
 試合は幸村の一方的なものに見えた。手塚は目を離さずに仁王に問いかける。何が言いたくてここに来たのか、仁王は未だ分からずにいた。
  「勝つのは幸村。それでいいんじゃないか、あいつらは」
 二口目の水を含むと、仁王は蓋を閉めた。
 何か言いたげに手塚は目を伏せ、それから仁王に顔を向けた。相変わらず整った顔立ちをしているな、と関係ないことを仁王は思った。
  「幸村がこの試合で背負っているものは、俺のものとは種類が違う」
 少し尖ったような声音で手塚は言うと、ラケットを取った。
  「幸村にもわからない。まして、お前にはわからないさ」
 背を向けながら手塚は軽く手を挙げた。半歩ほど進んだところで、思い出したように振り返り、ポケットから何か出して仁王に差し出す。
  「菊丸にもらったものだからそんなものだが」
 見ると、キャラクターの柄のついたバンドエイドだった。
  「いや…あの流血は…」
  「あれは大げさだったかも知れんが、な」
 言葉にからかいを薄く乗せて、仁王の膝の擦り傷を指した。そして手塚は今度こそ振り返らずに歩いて行った。
  「何か知らんが、…部長としてがんばれ」
 気のせいかもしれないが、背中で少し手塚が笑ったように感じて、仁王も頬を緩めた。
  「ふられましたね、仁王くん」
 手塚と入れ違いに柳生が顔を出した。
  「紳士のくせに今度はのぞきか?そして俺はふられてないっちゃ」
 首にかけていたタオルを柳生に投げつける。柳生は手品師のように芝居じみた仕草でタオルを受け取ると、すばやくたたみながら仁王の隣に来た。
  「手塚くんの気持ちが理解できるのは、おそらく…」
 またどよめきが聞こえてくる。見ると、氷帝の跡部がコートに出て来て何やら言っていた。
  「跡部くん。彼だけじゃないですか?」
 柳生はたたんだタオルを仁王の頭に乗せると、今来た方へまた歩き出した。
  「なんじゃ、お前も慰めずに行くん?」
  「そのつもりでしたが、真田くんの方が重症のようなので」
  「…あっそ」
 手塚にもらったバンドエイドを開けながら仁王が唇を尖らせる。
  「まず傷口を洗った方がいいですよ」
  「舐めて」
 柳生の背中に苛立ちが滲んだ気がして「嘘です」と仁王は慌てて付け足した。
 もうすぐ手塚の試合が始まる。
  「洗うとかめんどくせ…っと」
 結局バンドエイドは貼らず立ち上がる。
 優しく厳しい手塚の瞳にも似た、言葉無き彼の試合が良く見える場所へ行く為に。

(09.8.20)




                             

おわり

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