若き獅子

*手塚 国光*

 跡部と別れてからまだそう何日も経っていないというのに、空虚感のせいか何年にも感じられる。幸い仕事が多忙を極め、あまり考える余裕がないのが救いだ。
 そのせいか、跡部との数ヶ月間は夢だったのではないかとも感じることがある。
 あの日は早い時間に来たせいと、どちらかというと跡部の方のスキャンダル色が濃くて、俺の方にはまだ取材が追いついていなかった。部下が出社すると、あらかじめ跡部と決めておいた設定を会議で説明し、理解を請うた。
 内容が内容なので、辞めたいと言い出す者がいたら何も言わずよくしてやろうと思っていたが、誰一人そんなことは言わなかった。全くのデマだと信じてくれているのか、それともこの時代なにが起こっても不思議ではないと思っているのか。
 その日の休憩中、ワイドショーで俺達のことが取り上げられると、気をつかってかテレビを消そうとしてくれた者もいた。しかし世間的にはどうなっているのか詳しく知りたいので、そのままにしてもらった。
 レポーターが跡部と俺の生い立ちを説明する。
 それほど時間もなかったはずなのに、驚くほど詳しく調べられてて、少々絶句した。中学時代の友人たちにまでコメントをもらいに行ってるのを見たときは、迷惑をかけて申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
 跡部のところにも取材が殺到しているが、未だ会見の場を設ける時期は未定だといっていた。
 跡部…今お前は一人で戦っているのか?
 俺がお前にしてやれることはないか?
 今一番それが知りたい……




*跡部 景吾*

 朝一の会議に出るように言われてた俺は、誰よりも早く会社に着き、デスクに座り自分で淹れたコーヒーを飲んだ。
 昨日から…いやもっと前からずっと考えていた。
 俺と手塚を認めさせたい。
 そうさ、俺はまだ諦めちゃいねえんだ。昨日社長と口論になって、頭を冷やせと言われたが、最初っから頭に血なんかのぼっちゃいねえ。何日、いや何年かかろうともいつか俺達を認めさせてやる。そのためなら、俺はなんだってする覚悟はできている。
 少しすると、秘書が出社してきた。俺があまりに早く来ていたので驚いていたが、彼はたぶん俺が何を考えているのかわかったんだと思う。
 急に目つきが変わり「何が起ころうとも専務について行きます」と言ってくれた。
 その後の会議は俺を非難する意見もでたが、社長の息子という肩書きのせいで、針のむしろということはなかった。だが会社の名前がスキャンダラスに報じられたことは事実だから、どう対処するかの話で終始した。
 結局一日中そんな会議が続けられ、何も決まらないままクタクタになって会社を出たら、またマスコミに追いかけられてしまった。カメラは、今朝の比にならないくらいの数になっていて驚いたぜ。
 かなりしつこい輩もいたが、なんとか無事にマンションに帰りついた。とにかくシャワーを浴びたくて、玄関からバスルームに直行する。
 一秒ごとを過去にして、俺は男の絶望というものを知ってしまったのか。
 お湯が排水溝から流れていく。気弱な俺を洗い流していくように。
 バスタオルを取り、それが手塚が使っていたタオルと気づいて、匂いを思い切りかいでしまう。
  「…手塚…っ」




*手塚 国光*

 朝いつものようにパソコンを開くと、跡部の会見が開かれるというニュースが出ていた。すこし安心したのと、同時にこれで本当に跡部が手の届かない所に行ってしまうような気がして、胸が苦しくなった。
 いつから俺はこんなに跡部が気になって仕方がなくなっていたのか。
 今度会うときは、高みでビジネスパートナーとして会いたいと思う。そうなるためには、こんな事くらいで落ち込んでなんかいられない。日々弛まぬ努力をするのみだと思った。俺は俄然やる気を出して、今日も仕事をこなしていった。
 師走の中休みとでも言おうか、連日深夜にまで及ぶ仕事が、まるで跡部の会見を見ろといわんばかりに終わる。
  「すまんテレビをつけてくれないか?」
  「はい。あ、会見のニュースですか?」
  「ああそうだ。外貨に影響するからな。みんなは帰ってもいいぞ。お疲れ」
 俺がそう言うと、お互い顔を見合わせて嬉しそうにする。
  「おい、飲むならほどほどにな」
 俺が笑って声をかけると「はーい!」と帰っていった。
 クリスマス頃に人事が発表されるとしていたが、今日の会見は本当にそれだけなのだろうか。そんなことを思いながら廊下に設置されている自動販売機に缶コーヒーを買いに行った。
 事務所にもどったとたん、携帯が跡部専用のメロディを奏で始めた。
  「…!跡部っ」
 慌てて自分のデスクに行き、出る。

  「もしもしっ」
 ―――「よお。久しぶりだな、元気だったか?」
  「ああ…。今から会見だろ?しっかりな」
 ―――「ふん。言われなくとも」
  「そうだな、お前なら大丈夫だ」
 ―――「まだ仕事中か?」
  「いや、今日は終わった。まだ会社だが」
 ―――「そうか…。なあ手塚、お前約束覚えてるか?」
  「約束?何の?」

 俺は熱過ぎる缶コーヒーを持て余してデスクに置いた。

 ―――「正月のハワイだよ」
  「……」
 ―――「約束は守れよ。じゃあな!」
  「あっ!おい!」
 プープープー……

 ハワイ…?
 俺はなんか嫌な予感がして、今か今かとニュースを見ていた。
 もういい加減チャンネルを変えすぎて、どの放送局を見るべきかわからなくなってきたところ、会見の中継をし始めた番組を見つけた。
 社長・副社長・新専務の跡部。三人が並んで座っていた。俺は、甲子園のマウンドに立つ球児の親のような気分で跡部を見守った。
 会見は途中からの中継だったみたいで、今は質問がなされていた。社長の返答から、どうやら跡部は専務になることに内定したまま人事は変わらないみたいだ。
 ほっとして、やっとイスにもたれる。
 話が例のことに及ぶと、慌てて司会者らしき人が会見を切り上げようとした。が、いきなり跡部が立ち上がった。
 俺は心臓が口から出るんじゃないかってくらい驚いて、また身を乗り出した。社長も副社長も涼しい顔をして座ったままいる。
 大丈夫なのだろうか?俺の考えすぎなのだろうか?
  『この間、報道されたことはほぼ事実です』
 なんですとーーーーー!?
 俺は頭を抱えてしゃがみ込んだ。どういうことだ、コレは?俺のこの数日間のセンチメンタル・デイズはなんだったんだ?
 跡部はおびただしい数のフラッシュを浴び―――そりゃそうだろ…―――眩しそうにしていたが、あのいつもの満足げな顔をして立っていた。
  『ただ、おもしろおかしく報道されたことには憤りを感じますが、スクープされたことで私の中にあった少しの迷いが吹き飛びました。覚悟を決めていたつもりが動揺してしまい、結果的に一度は最愛の人を手放す選択をしてしまいました。…まだまだ若輩者ですが、精一杯がんばります』
  「…跡部…」
 跡部が話し終わると、誰ともなく拍手が起こった。
 すると今度は跡部に良く似た―――うまく年を取ったという表現がぴったりな―――社長が立ち上がり
  『新専務はご存知のとおり、私の息子です。今回のことで彼はいろいろな経験をし、それに負けないことを学んだようです。まだまだ私も…理解できないのが本音ですが、彼も大人ですしそれと仕事は関係ありません。何も問題ないという結論です』
 俺はぽかーんと口を開けたまま、ニュース番組が終わりその次の番組に変わっても放心していた。
 そして、跡部からの電話で我に返った。跡部は今こちらに向かっていると言った。何でも自分の車は秘書に運転させてマスコミを撒いた後、裏口から出てタクシーに乗ったそうだ。
 ノックもせずにドアを開けるのは、傲慢で甘えん坊な俺の大切な人。
  「…帰るぞ」
 俺は苦笑しながら「ああ」と言い、驚かせやがって…というように跡部の肩を叩いた。




*跡部 景吾*

  「やっぱりお前を諦めることなんかできなかった」
 俺がそういうと、手塚はお前はわがままだからなと笑う。
 手塚は自分の車でマンションまで行こうと言ったが、俺はその提案を却下し、あのいつものバーに行こうと言った。手塚は激しく反論したが、今日は祝杯を挙げないと気がすまねえ。
 子供のように足を突っ張らせて抵抗する手塚の脇を抱え、待たせておいたタクシーに詰め込むと、運転手は「ヤバイことじゃないですよね?」と怯えた顔で確認してきた。
  「おい手塚、お前のせいで俺様が誘拐犯のように言われたじゃねーか」
 俺が言うと手塚は運転手に一言謝罪して、諦めておとなしくなった。かなりこっちを睨んでいたがな…。
 バーテンは俺達を見つけると、いつも俺達が座る席ではなく店の奥にあるVIPルームに案内してくれた。
  「専務内定おめでとうございます。こちらはほんの昇進前祝いの気持ちです」
 そういってドアを開けると花束やフルーツが置いてあった。
  「……悪いな、気を遣わせて」
 俺が言うと
  「とんでもない、こちらこそもういらっしゃってくださらないと思ってました」
 そういえば、ここで久しぶりのデートを写真に撮られてこの騒ぎになったんだったな。ならやっぱりここへ来て正解だったというわけだ。
  「何をお作りしましょう?」
 俺は「いつもの」と言おうとしたが、ふと思い直す。
  「そうだな、今日という日にふさわしいオリジナルを作ってくれ」
 バーテンは感じのいい笑みを浮かべ頷くと
  「では、お二人をイメージして作らせてもらいます」
 そして出されたカクテルは、黄金色に輝いていた。
  「キレイじゃねーか…名前は?」
  「そうですね……‘黄金の獣’…というのはいかがですか?」
  「ふん…気に入ったぜ」
 俺達はシャンパンをベースにした‘黄金の獣’で祝杯を挙げた。




*ふたり*

 クリスマスキャロルが流れる街の灯。こだわり続ける何もかも全部捨てて、新しい年がもうそこまで来ている。
 ふたりはベッドで気が済むまで抱き合い、そして眠った。
 手塚が夜中に目を覚ますと、隣に跡部の穏やかな寝息。跡部は手塚の視線に気づいたように目を開けた。
  「…眠れねえのか?」
 掠れた声で聞いてくる。
  「いや…違う。今、目が覚めただけだ」
  「そうか…」
 星屑に手が届きそうな天窓からは銀色の月。
 あの三日月にふたり斬られてしまおうか?




 愛せ 取り返しのつかないくらい―――




(04.12.22)




                             

おわり

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